15.6. 原生生物
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「小さな水滴の中に何千もの生き物がいるという光景は、これまで見た中で最もすばらしいものである」
菌類、動物あるいは植物ではないすべての真核生物が入れられた、がらくた箱のようなもの
原生生物のすべてではないが、そのほとんどは、単細胞生物 最初の真核生物は、現代の原生生物の大きな多様性の先駆者であっただけでなく、他のすべての真核生物、すなわち、植物、菌類と動物の祖先でもあった
生命の歴史で最も重要な章の中の2つ、真核生物の起源とそれに続く多細胞真核生物の出現は、両者ともに原生生物の進化において起きた 真核細胞の起源
化石の記録によると、真核生物は、およそ20億年前に原核生物から進化した
これがどのように起こったか
特に真核細胞の膜に囲まれた細胞小器官がどのように起源したか 広く一般に受け入れられている理論は、真核生物細胞が2つのプロセスの組み合わせを通して進化したということ
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2つ以上の生物種間の緊密な関係
宿主の細胞内に別の種が生活していること
葉緑体とミトコンドリアは、別種の、より大きな宿主原核生物の細胞内に居場所を確立した小型共生原核生物(共生体)から進化したと考えられている ミトコンドリアの祖先は、細胞呼吸によって大量のエネルギーを有機分子から解放するために酸素を使うことができた好気性細菌であっただろう ある時点では、そのような原核生物は、より大きな従属栄養生物の内部寄生体であったのかもしれない
あるいは,祖先の宿主細胞は好気性細胞を食料として摂取したのかもしれない
小さい方の細胞のいくつかが消化されなければ、生き続け、宿主細胞内で呼吸反応をし続けたかもしれない
同様に葉緑体の先祖の光合成を行うバクテリアは、より大きな宿主細胞中で生活するようになったのかもしれない ほとんどすべての真核生物がミトコンドリアをもっているのに対し、葉緑体をもつのは一部だけなので、ミトコンドリアが最初に進化したと仮定することが論理的
しかし、相互関係が始まった後、飲み込まれた好気性、あるいは光合成細胞とより大きな宿主細胞の共生が、相互に有益になっていったと想像するのは難しくない
ますます酸素が増加していた世界で、嫌気性であった細胞は、有効に酸素を使う内部共生体から利益を得た
そして、従属栄養の宿主は、光合成を行う内部共生者から養分を引き出すことができた
より相互依存が密接になり、宿主と内部共生体は、分離できない1つの生物になった
現代のミトコンドリアと葉緑体は、いくつかの点で原核細胞と類似している
これらの構成要素により、葉緑体とミトコンドリアは活動において、いくらかの自立が可能
また、自分自身のDNAを複製し、原核生物の二分裂に似たプロセスにて細胞内で繁殖する 真核細胞の起源はより複雑な生物の出現を可能にし、膨大な多様性をもつ原生生物が進化した
原生生物の多様性
すべての原生生物は真核生物
非常に多様であるため、他の一般的な特徴をあげるのは難しい
生物学者は、原生生物界とよばれる界に原生生物すべてを分類していたが、現在では、これらの生物が真核生物ドメインの中でいくつかの界を構成すると考えている これらの多様な群の進化関係についての知識は不完全ではあるが、原生生物は、いまだ、植物、動物、あるいは菌類ではない真核生物を表すのに都合のよい言葉 このゴミ箱のようなカテゴリーは、近い将来、再編成されるのは確実
この多様性を考えると、原生生物が、他のどんな生物群よりも構造と機能において変異に富むことは驚くべきことではない
大部分の原生生物は単細胞生物であるため、彼らは、疑問無く最も単純な真核生物と考えられている しかし、細胞レベルでは、すべての精巧な細胞の中でも、多くの原生生物は非常に複雑
これは、動物や植物の体をつくる分化した細胞集団によって実行されるすべての基本的な機能を1つの細胞内で実行しなければならないことから予想されるべきこと
各々の単細胞の原生生物は、ヒトの1細胞とは似ておらず、それ自身で、動物や植物と同様に完全な生物
原生生物の分類は、現在進行中の仕事
生活型により分類される原生生物の4つのおもな群について見ていく
原生動物
おもに食物を摂取して生活する原生生物
原生動物は、さまざまな水の環境に暮らしている
あるものは水に溶けている栄養分を吸収することが可能
少数派であるが、動物の寄生虫として生活する原生動物により、世界で最も有害な人間の病気のいくつかが引き起こされている 1本以上の鞭毛により運動する原生動物
人間の腸に感染して腹部の痛みと重度の下痢を引き起こす
おもに感染した動物の糞便で汚染された水を飲むことにより感染する
熱帯アフリカで流行する、ツェツェバエによって媒介される重病の眠り病を引き起こす種が含まれる 体の形の大きな柔軟性と移動用の細胞小器官をもたない
アメーバは、池や海底で岩や棒、または泥の上を這うときに、実質的にどんな形でもとることができる
世界で毎年10万人以上の死者が出ている
すべて寄生性であり、いくつかは人間に病気を引き起こす 名前は宿主細胞と組織を透過するために特殊化した頂端の構造にちなむ
科学者は2002年にマラリア原虫の完全なゲノム配列を決定した
繊毛とよばれる構造を用いて、移動や採餌を行う原生動物 ほとんどすべての繊毛虫は、自由生活(寄生性でない) 粘菌
粘菌と菌類は全く類縁がない
粘菌の網目状の体は、菌類のそれと似た環境への露出面積を増やす適応 これは、これらの生物の分解者としての役割にあったもの この原生生物の2つのおもな群
変形体とよばれているアメーバ状の塊である、生活環の給餌ステージから名づけられている https://gyazo.com/21b5682d4e51c0458ff3c08d5b79f87b
真正粘菌は、林床の落ち葉などの腐敗物の間で見つけることができ、観察するために顕微鏡を必要としない
変形体は、バクテリアや少量の死んだ有機物を取り込むアメーバ状の細かいフィラメント状の網目構造で、直径は数cmになる
変形体は大型であるが、実は多核の単細胞
その連続する生活段階でとる異なった形態から、生物の個体とはなにかという疑問を提起する
細胞性粘菌の給餌ステージは
1. 1つの独立したアメーバ状細胞からなる、個々に機能し、有機物中を這うように進んで、偽足を使ってバクテリアを飲み込む。しかし、食物が不足してくると、アメーバ状細胞は同調して群れになり、
2. 1つの単位として機能するナメクジのような形態をとる。短い期間動き回った後、群体は
3. 柄を伸ばして、多細胞性の生殖構造を発達させる
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単細胞と群体の藻類
光合成を行う原生生物は、正式な分類群ではない藻類としてまとめられる その葉緑体は、陸水や海洋の生態系での食物連鎖を支える
単細胞藻類の3つのグループ
プランクトン中に豊富
特徴のある形のセルロースでできている外部プレートで強化されている https://gyazo.com/bd4070297a8e6c0a917b413819249108
直行した溝にある2本の鞭毛を波打って、回転運動を作り出す
赤潮を起こす渦鞭毛藻によって生産される毒素は、特に熱帯地方で、広範囲におよぶ魚の大量死を引き起こす
これは人間にも同様に有毒
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細胞壁は、弁当箱の蓋と底のように合わさる2つの部分から構成される
珪藻は浮力を提供する油の形で養分を備蓄し、日の当たる水面の地殻でプランクトンとして浮遊している 化石化した珪藻の大量の蓄積により、珪藻土として知られている厚い沈殿物がつくられる 珪藻土は、濾過資材、研磨剤や自然の殺虫剤として使用するために採掘される
その葉緑体の草緑色に基づいて命名された
単細胞緑藻は、ほとんどの淡水湖や池で、また多くの内プールや水族館でも同様に繁茂する
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ボルボックスの各群体は、ある単細胞緑藻と非常に類似した鞭毛をもつ細胞でできた中空の球体
球体内の球は、親群体が破裂して放出される娘群体
すべての光合成原生生物の中で、緑藻類は、植物にもっとも近縁 海藻
海岸の岩場から波打ち際の向こうの沖合まで生育している
細胞壁には、波による撹拌から体を保護する粘質のゴム様物質をもつ
ある海藻は、多くの植物と同じくらい大型で複雑
実際、海藻に最も近縁な生物はある単細胞藻である
このことは、多くの生物学者が海藻を原生生物に分類する理由
海藻は、ある程度までは、その葉緑体に存在する色素タイプに基づく紅藻類と紅藻、褐藻(ケルプとして知られている藻類を含む)という3つの異なる群に分類される 沿岸域に住む人々は、特にアジアで、食用に海藻を収穫する
日本と韓国では、ある海藻種(たとえばコンブとよばれている褐藻)は、スープの材料である 他の海藻(たとえばアサクサノリとよばれている紅藻)は、寿司を巻くのに用いられる しかし、その有機物の多くは人間が消化できない一般的ではない多糖類からなり、海藻が主食にされるのを防いでいる 海藻の細胞壁中のゲル状物質は、プリン、アイスクリームやサラダドレッシングなどの加工食品の増粘剤として広く使われている